08.


──お帰りくださいませ」

「ああ残念、お帰りなさいませかと思った」

 口を思い切り歪めたセリアは、ぎりぎりと扉を閉めようとしながら、それを阻止しようとする笑顔の青年を睨めつける。もうそろそろオースターロが始まるというのに、何故このタイミングで館を訪ねてきたのか。理由など聞かずとも分かるが意地でも聞かないでおく。

「今日はオースターロですよ、セリア。貴女が赤色のローブを纏った姿は、さぞ可愛らしいことでしょう」

「お世辞をどうもありがとう、フランツ様。用事はそれだけですね」

「ええ、ぜひとも貴女と共に春を祝いたいと思いまして」

「そうですか、さようなら」

「セリア、婚約者の貴女に男性との二人歩きを許してしまえば、外聞が悪くなってしまうのです。それが例え幼馴染でもね。どうか私を助けると思って堪えていただけませんか?」

「誰がっエリクと一緒に祭りに行くなんて言ったのよっ!」

「学び舎に出かけようとしていたのでしょう?」

 かあっと頬が赤くなり、セリアは「違うわよ」と口ごもる。さっと赤色のローブを背に隠しつつ。

 実を言うとオースターロには毎回エリクを誘って参加している。先生がいなくなってから彼は一人だった。学び舎の子どもたちと楽しく過ごしているとは言え、ふと孤独に襲われたりすることだってあるかもしれない──そんな幼馴染としての心配とは別に、祭事くらいしか彼と二人で過ごせないからという何とも情けない下心があるのも事実だけれど。そしていくらでも思いを伝える機会はあったのに、一度も勇気を振り絞れずに今日に至っていることも、この男は知っているのだろう。

……セリア。私は貴女のことが愛しいのです。数年前、この町で貴女を一目見たときからずっと。女性ながら学び舎で子どもたちの世話をしていると聞いて、私の単なる浅はかな劣情に尊敬までもが加わり……ついに我慢できず、縁談を全て断って貴女に会いに来たのですよ」

「そういう無計画さは嫌いよ。私はあなたに嫁ぐ気はないから、ご令嬢から恨みを買うだけ買ってしまったわね」

「ふふ、貴女を逃がすことに比べれば些事ですから」

 結婚する気はないと言っても、エンフィールド公爵家からの申し入れを断れるほど、一町長の娘であるセリアには身分も権力もない。このまま挙式まで持っていかれることは必至で、逃げ出す隙は今のところ見当たらなかった。それでも断じてフランツに好意は無い、と周囲が呆れるほど露骨に振舞って、いるはずなのだが……。

「ああ、その顰め面も愛らしい。罵詈雑言でも貴女の声が私に囀りかけてくれていると思うと幸せが」

「や、やめ、やめなさい、気持ち悪い」

 この調子である。こちらの誠意すら感じられない態度に少しは怒っても良いのに、もっと言えば怒って幻滅したとでも吐き捨てて立ち去ってくれて構わないのに、未だそのような兆しは見えず。恍惚とした表情で全て許容してくるフランツの懐の広さには、もはや恐怖を覚え始めていた。

 これは今日も逃がしてくれそうにないと悟ったセリアは、思い切り項垂れて力を抜く。すると扉がゆっくりと開かれ、宥めるように手を掬われた。見れば、眉目の整った顔がそこで微笑む。

「では行きましょうか。大丈夫、エリク殿にはあの少女が付いていますよ」

「わざとね、今のはわざとよね」

「何のことやら」

 フランツの言う「あの少女」とは、ニコという不思議な人物のことだ。細く柔らかな金髪、畑仕事もしたことがなさそうな白い肌、水面を覗き込んだような瑠璃色の瞳。そして、不自然に尖った耳。どうやら言葉が殆ど通じないらしく、そのせいで終始ぼうっとしている印象が強い。エリク曰く、彼女は巨人族の言葉──古代語を解するようだと。何から何までよく分からない少女だというのに、優しいエリクは学び舎でいろいろと世話を焼いているのだ。

 恐らく先生が連れてきたから、というのが大きな理由ではあるのだろうが、それにしたって……自分と同じ年ぐらいの娘が、想い人と一つ屋根の下にいると聞いて心穏やかでいられようか。セリアが悶々としていることを察してか、隣ではフランツがくすくすと笑っている。

「バルドル殿は大きな怪我を負っていると聞いたのですが……彼女は何も?」

「え? ええ、傷はなかったと思うけど」

……ふむ、そうですか」

……?」

 先日、ニコと対面したときから、フランツは何か考え込んでいるようだった。もしや知り合いだったのだろうか? いや、それならそうと公言していもおかしくはない。それに彼の様子は親しい人物に思いを馳せるというよりは、もっと剣呑なものを含んでいた。

 

 □□□

 

 黄昏と夜闇が混ざる頃、色鮮やかなランプがぽつぽつと灯れば、町が華やかに彩られる。大きなリボンやブーケで飾り付けをした家屋からは、親子が籠に入れた花びらを通りに降らせている。赤いローブを着た少女と緑のチュニックを着た少年が、楽しげに人混みをすり抜けた。

 毎度のことながら、やはりオースターロは非日常的な雰囲気が町全体に充満する。この日のためにと練習を重ねた演劇、町長の計らいによって招待された大道芸人の余興、至る所で歓声と談笑が上がっている。

「エリクせんせー!」

「やあ、皆一緒に回ってるんだね」

 そこへ、学び舎の生徒が数人ほど駆け寄ってきた。皆それぞれ祭りの服装をしており、頭には個々に髪飾りが挿してある。花を模した可愛らしいそれを褒めてやれば、子どもたちは嬉しそうにはにかんだ。

「あ! ニコもいる!」

 エリクの隣できょろきょろと周囲を見回していたニコは、その声で顔を前に戻す。

 恐らくわけは分かっていないだろうが、彼女も赤色のローブを着ていた。その尖った耳を衆目に晒すのは良くないかと、ついでにフードも被せてみたのだが──。

「おや別嬪さんだねぇ! エリク、お前いつの間にこんな美女を」

「フードまで被せちまって、顔も見せてやりたくないってかァ?」

「い、いえ、そういうわけじゃないんですが」

 ニコは顔だけでも目を惹くのか、さっきから何故かエリクが冷やかされていた。おまけに酔っぱらった中年男性はすぐ彼女のフードを取ろうとする。それを「人見知りだから」と宥めるのは何度目になるのか。

「えーっセリアは!? エリクとこいびとなんじゃないの!?」

「誰がそんなこと言ったんだい……」

 おまけに子どもたちにまでそんなことを言われてしまい、この時ばかりはニコが言葉を聞き取れないことに感謝してしまった。とは言え不本意なからかいを一身に受けるのも疲れてきたエリクは、会話もほどほどに広場の隅へと向かおうとしたのだが。

「わっ」

 そのとき、すれ違った男性と衝突した彼は、バランスを保てず前のめりになる。咄嗟に左腕を伸ばしかけたところで、ぐいと肩を引っ張り戻された。

「うぇッ、あ、ありがとう、ニコ」

 自分よりも小柄な少女に、片手一本で助けられたのは初めてである。若干の情けなさを覚えて苦笑交じりに礼を述べれば、ニコはまばたきと共に彼の失われた右腕に視線を移す。

「イルム」

「ん? ……ああ、えっと……イール・ラハト……だったっけな。平気だよ」

 「イルム」とは「腕」を表す古代語。エリクの片腕がないことは、ニコも気になっていたのだろう。しかし、さすがに古代語で当時の経緯を詳しく説明できるわけもなく。さほど不自由はしていないということだけ伝えるため、「イール・ラハト」──無事や健康を意味する古代語を返すに留めた。ちなみにこれはまじないの言葉として現在でも用いられている。相手を労わったり、心配を掛けたときに礼を述べたり、前向きな姿勢を示す成句なのだ。

 エリクの返答に、ニコが右腕を見詰めつつも浅く頷いた──のも束の間、彼女が突然その大きな瞳を他所へ向ける。

……何だ?」

 その視線を辿って行けば、何やら広場の中央が騒がしい。人々のどよめきを一閃するようにもたらされたのは、誰かの悲鳴だ。それまで和やかだった空間に緊張が走れば、視界の赤色がふらりと動く。

「あっ、ニコ!?」

 そのまま騒ぎの元凶へと向かってしまう彼女の背を、エリクは少しの躊躇を経て追いかけたのだった。

 

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