07.


 ──イナムス大陸。我々人間がこの大地を治めるようになったのは、二千年ほど前のこと。それまで我々は大陸の南北を分ける険しい山脈を蓑に、息を殺して日々を送る矮小なる種でしかなかった。

 そもそもイナムスは人ならざるものによって創られた。世のあらゆる理を司る創造神の一柱、大精霊。世のあらゆる命を司る原初の巨人。そして、それら全ての礎となりし大地を司る聖竜。三柱の神は海原の中心に降り立ち、爪先ほどの岩礁を生み出した。その核を覆うが如く、聖竜は自らの長大な肉体を大地とした。大精霊は己の分身を大地に散らせ、光と闇を、水と炎を、風と時を与えた。原初の巨人は己を基に命を創り、豊かな実りで世界を彩った。

 

……つまり、僕らの命も原初の巨人が創ったんだ。巨人族の中から体の小さな者が生まれたのか、初めから人間という種が創られていたのかは、残念ながらまだ分かっていないんだけどね」

「エリクせんせ、じゃあ二千年前の戦争で、人間って神様を追い出しちゃったの?」

「そうなるね。しかも自分のご先祖様かもしれない神様を」

 子どもたちが一様に「ええっ」と驚き、エリクは苦笑する。今、彼らに教えているのはイナムス大陸に伝わる創世神話だ。神話と言えどこれは歴とした事実であるため、一般教養として身に着けておくべき史実と言ってよいだろう。

「戦争のことよく知ってたね。ちなみに何の戦争だったかは覚えてるかな?」

「んっと……」

「巨人があばれた!」

「うん、まぁそうだね。正確には……巨人族の中で対立が起きたんじゃないかと言われているよ」

 原初の巨人を“始祖”とする巨人族は、基本的に穏やかな種であった。自身より小さな動物にも優しく、実りを共有しては長閑な暮らしを送っていたそうだ。しかし、それは聡明な“始祖”によって上手く宥められていただけだったという。

 彼らの本来の性格は、些細なことで気が立ったり争いを始めてしまったりと短気なものである。無論、大陸で最も大きな肉体を有する彼らが本能のままに過ごしていれば、すぐさま大地は荒廃していたことだろう。“始祖”はその本性に気付いていたからこそ、他の種族との共生を掲げていた。

──けど二千年前、恐れていたことが起きてしまったんだ。巨人族は我を忘れて仲間と争い、大陸をたった七日ほどで火の海にした」

 “始祖”の声も届かぬまま、巨人族は争いの目的すら徐々に忘れていった。己の内に閉じ込めていた凶暴な本性を解き放ち、気の赴くままに美しいイナムスを焦土に変えた。豹変した彼らに恐れを為し、人間は聖竜の山脈に逃げ込むことしか出来なかった。

「そこで“始祖”は大精霊に助力を求め、十二人の若者に巨人族を退けるための力を授けたんだ」

「れーめーの使徒だ!」

「正解」

 理を司る大精霊と共に創り出したのは、ティール聖王国の聖都に祀られている宝──『ミグス』と呼ばれる特殊な力を有した石だった。ミグスとは元より巨人族の中にあった不可思議な力を指すのだが、それを大精霊の加護によって人間の武器として昇華させたのだ。

 ミグス石は共鳴した者にのみ力を授けると言われ、適合できる人間はわずか十二人しかいなかった。だがその選ばれし十二人は臆することなく、狂える巨人族へと立ち向かい──見事、彼らを鎮めてみせた。その勇気と功績を称えられ、十二人の若者は後に“黎明の使徒”と呼ばれるようになる。

“始祖”は巨人族に罪を償わせるために、敗戦して間もなくイナムスから姿を消してしまった、ということだね」

「どこにいっちゃったの?」

「イナムスの南西──名もない孤島だよ。残念だけど、詳しい位置は確認されてない」

「ええー」

 もたらされた落胆する声に、エリクも同調するように笑う。

「島さえ分かれば、神話の信憑性も更に上がるんだろうけどね。気長に探すしかなさそうだ」

「せんせー、ニコ寝てるよ!」

 教室の一番後ろの席で突っ伏し、気持ちよさそうに眠っているのはニコだった。隣に座っていた少女が親切にも背中を擦ってやれば、ぱちりと瑠璃色の瞳が開く。目の前の少女をじっと見詰めたものの、睡魔に忠実な彼女は再び寝息を立ててしまう。言葉が分からないニコにとって、この授業は子守歌でしかなかったようだ。エリクは笑いながら腰を上げ、「さて」と窓の外を見遣る。

「今日は早めに終わろうか。皆、おうちで準備があるだろうし」

 彼の言葉で、静かだった教室が突然わっと騒がしくなる。

 今日は年に二度、春と秋の訪れを祝い、五穀豊穣を祈る祭りが開かれる。民家を季節の草花で彩り、広場では夜通し神話をモチーフにした演劇や舞いが行われる賑やかな行事だ。当然、子どもたちが好きなお菓子を配ったり遊びを用意したりと、年齢問わず楽しめるよう工夫が為されている。

 エリクも幼い頃、初めて祭りに参加したときのことはよく覚えている。まだ先生との関係もそれほど親しくなく、ぎこちなく手を引かれていたことも。けれど星空の下、暖かな人々と煌びやかな灯、懸命にエリクを楽しませようと饒舌になる先生の姿は、緊張していたエリクの心をゆっくりと溶かしてくれた。

 

──ニコ、お祭りに行ってみようか」

 気付けばそう語り掛けていた。

 子どもたちが去った静かな教室で、ニコが目を覚ます。「何か言ったか」と言わんばかりの視線を受け、エリクは隣の椅子を引いた。

「えっと……オースターロ、分かるかな?」

「オースターロ」

 しっかりと反芻してくれたおかげで、ニコがその単語を知っていることを確認する。オースターロとは春の祭事を指す古代語だ。古文書に記載される頻度が高いのは勿論、慣習として地域に深く根付いているために、学者でなくとも馴染み深い言葉の一つである。

 エリクは教室の外に広がる、いつもより華やかな町並みを見るように促す。途端、やはりニコは目を丸くして立ち上がった。興味深そうに窓に張り付いてしまった彼女に笑いつつ、エリクは「少し待ってて」と傍を離れる。

 向かった先は、未だ先生が眠っている小部屋だった。二日前にセリアが連れて来てくれた医師の見立てでは、目覚めるかどうかも定かではないとのこと。頭部からの出血がひどく、体力の低下も著しい。外傷で脳に異常を来してしまった可能性もある。あまり期待はしない方がいいと、労わるように言われてしまった。

「よっ、と」

 先生を寝かせている寝台の下から、一つの箱を引き摺り出す。蓋を開ければ、そこには子どもたちのために用意したオースターロのローブが入っていた。祭りのとき、幼い少女や未婚の女性は花の刺繍が入った赤色のローブを身に着け、男性は緑色のチュニックを身に纏う。双方とも既婚になるとまた別の色を身に纏うわけだが、学び舎では前者が着用するものをいくつか予備として置いているのだ。

 何故そんなものがあるのかというと、数年ほど前に学び舎の生徒が「オースターロに参加できない」と泣いてしまった背景がある。聞けば母親が運悪く体調を崩し、女児用のローブを編めなくなったそうだ。友人がみんな華やかに着飾る中、自分だけ普段通りの格好というのは恥ずかしかったのだろう。事情を聞いたエリクは授業後、恥を忍んで町のブティックへと赴き、オースターロに使えそうな布が余っていないかと訪ね回った。女性しかいない空間は何とも居心地が良くなかったが、彼の心境を察した店主は快く材料を分けてくれた。それを持って急いで町長の館へ向かい、セリアにローブを縫ってもらい──無事、少女に渡すことができた。その驚きと喜びに満ちた笑顔は、エリクの記憶に強く残っている。

 そんなことがあって以降、学び舎で祭事用の服や小道具をいくつか置いておくことにしたのだ。念のため、という気持ちで保管していたものの、これが意外と使用する機会の多いこと。何でも「セリアが縫うローブはママが作るより可愛い」だそうだ。母親の複雑な胸中には同情した。

「これならニコでも着れそうかな」

 一番大きな赤色のローブを取り出し、エリクは膝を使って箱を押し戻す。先生の彫刻のように固い寝顔を一瞥し、そっと部屋を後にしたのだった。

 

 

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