00.魔女の記憶.


 

 蒼穹の光。それはかつて混沌の中にあった大陸を照らし、永き平穏を約束したという。何色にも染まらぬ美しき力。かの力は未来永劫、我らを静かに見守るはずだった。

 ──悪しき光に包まれる聖堂。もはやそこが神聖な場所であったことなど、この景色を見た者には信じがたいかもしれない。私は断たれた両足を引き摺り、黒く汚れた床を這う。浅い呼吸を繰り返し、消えかけた意識の中をひたすらにもがく。瞳から止めどなく溢れる涙は、もはや血と区別も付かぬほど淀んでいた。

「──いや、嫌……っお願い、目を覚まして」

 擦り切れた声。伸ばした指先の向こう、血だまりに沈む愛しい人。胸に突き立てられた剣が微かに上下し、虚ろな眼差しが寄越される。掠れた声で何度も名前を囁けば、次第にその瞳が閉じられていく。青褪めた唇が弧を描き、また赤色を零した。

「……ミラージュ、どうか……」

「!! 嫌っ、聞きたくない、聞きたくありません……!」

 ようやく届いた手で、彼の頭を抱き締める。その仕草を咎めるかのように、腕の中で彼が笑った。

「君の言う通りだった……私は確かに、死ぬ宿命にあった」

「……!」
「すまない。……すまない、君に、また……」

 落ちた雫が頬を濡らしていく。涙は潰れた瞼を癒すはずもなく、ただ彼の顎へと伝い、音もなく赤に呑まれる。その行く末を見届けるや否や、後悔と絶望が襲う。


  ──今度こそ、救える筈だった。


 何度目だ。私がこの死を前に打ちひしがれるのは。避けられぬ結末にこうして泣き喚くのは。彼を腕に抱き、死を待つ時間は。迫る狂気に怯え震えるのは。

「ミラージュ」

 頬にかかる吐息に、涙で応えるのは──。

「……ミラージュ。私は……」

 声は消え入り、瞳から光が失せる。命の灯が潰えると同時に、彼の胸から剣が引き抜かれた。血飛沫を浴びても、私はそこから動かない。否──骸と化した彼を見詰めたまま、動けなかった。

 耳元に風が吹き、視界の隅が鈍く光る。首に刃が落ち、激痛が迸った。無様に項垂れてもなお、抱き締める腕だけは頑なに硬直する。

 この後、“彼”はきっと再び剣を持ち上げる。

 そうして──私の千切れかけた首を落とすのだ。


「──……っ……!!」


 目を覚まし、私はまた絶望する。
 零れ落ちる涙は拭わない。煩雑で薄暗い部屋を見渡す行為も必要ない。射し込む光に安堵する余裕などない。


「朝早くに申し訳ない。こちらにいると伺ったのだが……」


 扉の向こうから掛けられる声に──「全て夢だった」と、期待に飛び起きることもない。

>>

back

inserted by FC2 system