プラムゾの架け橋

第二章

18.

「ティナはハイデリヒと結婚できないの?」

 受け取った花冠を手に、少年はぽかんとした。何と答えればよいか分からない様子で、苦笑をこぼす。そっと返された花冠を見詰め、幼い少女──セレスティナはむくれて背を向けた。

「意地悪」
「そう言われてもなぁ」
「好きな女の子でもいるの?」
「いるよ」

 がばっと勢いよく振り返れば、少年がおかしげに肩を揺らしている。からかわれたのだと知り、セレスティナは顔を真っ赤にして少年の肩を叩いた。

「い、い、意地悪!!」
「うん、意地悪だね」

 同じ単純な言葉しか思いつかないことに、また笑われてしまう。どう頑張っても少年の本音を聞きだすことは叶わず、セレスティナはとうとう拗ねて膝を抱えた。言動は置いといて、ここだけはたおやかだ、と教育係から揶揄された銀髪を、意味もなく手で弄る。少女が黙り込んだことで、屋敷の庭はすっかり静かになった。すると少年は黙々と花を摘み始め、セレスティナよりも器用に花冠を編んでいく。気付けばその手際に見とれてしまい、釘付けな視線に少年はくすくすと笑う。ハッとして頬を膨らませた頃には、目の前に綺麗な花冠が出来ていた。

「はい」

 それを両手でそっと銀髪に乗せては、少年が優美に微笑む。このまえ挨拶に来た伯爵家の、高慢ちきな婚約者の少年とは大違いだ。年齢は向こうの方がいくつか上だったはずだが。

「僕は、ティナが結婚しても友達でいるよ」

 ──今思えば、少年は分かっていたのだと思う。セレスティナが伯爵家の人間と結婚を義務付けられたのと同様、彼自身もまた、由緒ある令嬢との婚約が、近いうちに取り決められることを。ゆえに無意味で、無責任な発言を避けていた。いや、彼がセレスティナに好意を持っていたかどうかなど、今となっては分からない。だがどちらにせよ、彼が幼い頃から貴族としての自覚を持っていたことは確かだった。



◇◇◇



 純白のドレスに身を包み、同色の淡いベールの向こう側、浮かない顔の自分を見つめる。結い上げられた銀髪、陰った白緑の瞳、似合わぬ紅を挿した唇。この格好をするのは二度目だ。つい先日、親族のみで執り行った結婚式の際に。あのときは静かで、大勢の観衆などいなかったせいか、自分が結婚するという実感がなかった。だから今日は──まるで生気が湧いてこない。

 さっさと披露宴を終わらせて、先ほど知り合ったマオという少女に会いたかった。彼女はどうやら第一層に住む商人の娘らしく、貴族にはない素朴な雰囲気を纏っていた。せっかくお茶会を開こうと言ってくれたのだから、せめてその時まではしっかりと役目を果たさなければ。

 そう自分を励まし、姿見から視線を外したとき、控室の扉が数回ノックされる。……恐らく、婚約者のアルノーだ。誰もいなくなった控室に何の違和感も抱くことなく、セレスティナは返事をした。

「はい、どうぞ」

 しかし、扉はなかなか開かない。セレスティナは怪訝な表情を浮かべ、ドレスの裾を両手で持ち上げる。そして大股に扉の前まで近づきながら、少々の苛立ちを露わにした。

「……何をしていますの? 入って大丈夫だと──!?」

 おもむろに扉が開かれ、伸びた手が彼女の口を素早く塞ぐ。悲鳴を抑え込まれたセレスティナは、遅れてやって来た恐怖に身を固まらせた。しかしベール越しに押し付けられた手は、予想に反してすぐ離される。不鮮明な視界の向こう、静かにするよう、悪戯に人差し指を立てる姿が映る。

「騒がないでね、“ティナ”」
「……!?」

 “ティナ”という呼び名に、白緑の瞳が次第に見開かれていく。扉が静かに閉められ、セレスティナは部屋の奥へと押し戻される。その間、彼女は言われた通り何も言葉を発さない。否、何も言うことが出来なかったのだ。

「──さて」

 “彼”は窓際に立ち、外に誰もいないことを確認してから、そっとカーテンを閉める。ゆったりとした動きで振り返り、芝居めいた仕草で両手を広げて見せた。


「土産話でもしようか。……手短にね」



▽▽▽



 大きな白い雲が緩慢に漂う、雄大な空の下。避暑地として有名な湖上の城は、かつてないほどの騒ぎに包まれていた。披露宴のメイン会場である広い庭では、伯爵家の当主が青褪めた表情で給仕の者たちを怒鳴りつける。

「急いで捜せ!! 怪しい者を見付けたらすぐに捕えろ!!」

 その騒ぎを呆然と眺めていた青年──ハイデリヒは、近くに立っていたグレンデルの方を振り返った。彼も困惑している様子で、視線に気づいては眉を寄せる。

「……我々も捜索に回りますか」
「そうだね。……彼女が自ら“脱走”してないことを祈るしかない」

 青年は冗談交じりに返してみたものの、不安の色を完全に拭うことはできなかった。この騒ぎの原因は、本日の主役である花嫁──セレスティナが忽然と姿を消してまったことにある。控室には彼女が被っていたベールだけが残されており、城の何処を探しても見つからない状況だという。そのことを耳にした直後、すぐに捜索に向かおうとしたハイデリヒだったが、周囲にいた貴族から引き留められてしまった。

 ──“公爵様”の手を煩わせるわけには参りませぬ。

 皆がそう言って、青年の行動を制限したのだ。身分など今は関係ないはずだと告げても、彼らの反応は鈍くなる一方で。歯切れの悪い貴族らに、穏やかなハイデリヒであれど少々気が立った頃だった。

「あんたとセレスティナ嬢の関係を疑ってるんだろうさ」
「!」

 振り返れば、そこには赤毛の美丈夫が立っている。いつもと変わらぬ不敵な笑みを携え、ハイデリヒの近くへと歩み寄った。しかしながら彼が手の届く範囲までやって来る前に、グレンデルが二人の間に割り込んだ。この場にいる誰よりも身体が大きいグレンデルの、凄みを効かせた眼差しに対して、エクトルは肩を竦めるだけで全く動じない。

「そう睨むな騎士さん。大切な坊ちゃんに変なモノ売り付けたりしねぇからよ」
「……。エクトル殿、僕とセレスティナの関係とは?」

 平素ならばグレンデルの態度を軽く咎める場面であるはずだが、ハイデリヒはそのまま話を続行させる。警戒心を露わにする青年とその従者を一瞥し、エクトルは小さく息を噴き出した。

「伯爵家のアルノーが、大事な嫁をあんたに盗られるんじゃないかと、毎日ピリピリしてたらしいぜ?」
「なっ……」
「そりゃ、嫁の幼馴染が器量も容姿もいい男だったら仕方ねぇわな」
「……アルノー殿以外の皆も、そのように思っているということか?」

 「さあな」とエクトルは笑う。だが彼のもたらすあらゆる情報は、いつも正しい。……あまり考えたくないが、多くの侍女をたぶらかすことで、貴族の間に流れる噂話を簡単に手繰り寄せてしまうそうだ。そういう手の早い性格が苦手で、ハイデリヒは彼との関わりを極力避けていた。しかし今の話も恐らく本当のことで、青年が貴族から疑惑の目を向けられていることは確かなのだ。その証拠に、彼らはハイデリヒを捜索に加わらせず、動きを監視できるよう庭に留めているのだから。

 何とも理不尽な扱いを受けていることを知り、ハイデリヒは思わず唇を噛む。

「僕は確かにセレスティナの友人だ。だが……彼女を城から誘拐するなどという真似は、断じてしていない」

 いつもは穏やかなはずの瞳に、微かに宿る苛立ち。つい数時間前まで色めき立っていた侍女や令嬢は、青年の放つ刺々しい雰囲気に背筋を凍らせた。エクトルは愉快だと言わんばかりに眉を上げ、慌ただしく駆け回る伯爵家の人間を見遣る。

「……ま、そうだろうよ。俺はあんたのこと信じてるぜ? 清廉潔白な公爵様をな」
「貴殿の信用はそれほど必要としていない」
「手厳しいな」

 エクトルは会話もほどほどにその場を去ろうとしたのだが、ふと視界に入った男を見て足を止める。褐色の肌に灰色の髪、図体が大きい割には臆病そうな仕草で周りを見回している。明らかに貴族ではなさそうだ、などと考えていると、その視線を追っていたハイデリヒが軽く声を張り上げた。

「オング殿!」
「!」

 庭の入り口をうろついていたオングは、青年の姿を発見すると急いで駆けてきた。その手には青い帯状の──見覚えのある髪飾り。ハイデリヒとエクトルがその髪飾りに怪訝な表情を浮かべたのも束の間、オングは生気を失った声で開口一番に告げる。

「ま、マオを見なかったか……?」
「え……」
「中庭にいなかったから、散歩でもしてるのかと思って、いろいろと捜しまわってみたんだが、ど、どこにもいなくて」

 そうして辿り着いた裏庭の花壇に、青い髪飾りが落ちていたと言う。ハイデリヒとグレンデルも彼女の行方を知らないことを悟り、オングは更なる焦りを浮かべて視線をさまよわせた。

「……言った傍からか」

 そんな彼らを眺めていたエクトルは、呆れた様子で呟く。次いで鬱屈とした空気を振り払うように、ひとつ、白々しい咳をしてみせた。

「そのマオってのは、青い服着た小娘のことだよな?」
「知ってるのか!?」
「うっ」

 オングに勢いよく胸倉を掴まれ、不覚にも驚いたエクトルは呻き声を漏らす。血走りそうな目を見返しては、何とか平静を保ちつつ笑みを浮かべた。

「ああ。本人に心当たりはないらしいが……妙な輩に付け狙われているようだったぞ」
「!?」
「小娘を誘拐したのはそいつの仲間かもな」

 更に第二層の“階段”を出た直後、武装した男にマオが尾行されていたことを彼が告げれば、オングの顔から血の気が引いていく。エクトルは唇の端を釣り上げ、大男の肩に手を置いた。

「なあ、あんた。小娘の捜索および救出、俺が請け負ってやろうか」
「は……っ? 何で」
「なぁに、困ってる奴を見捨てるほど外道じゃないんでね。その代わりと言っちゃあ何だが」

「──待て」

 そのとき、エクトルの言葉を凛とした声が遮る。小さく舌打ちをしつつ振り返れば、そこには思案げに目を伏せるハイデリヒの姿。青年は腰に携えたレイピアの柄を握ると、静かに言葉を続けた。

「マオの捜索は、僕から依頼しよう。謝礼は公爵家から出す」
「!? ハイデリヒ様」
「くれぐれも、オング殿、並びにホーネル殿に“依頼条件”と称して妙な誘いをしないこと。……良いな、エクトル」

 グレンデルの制止も聞かず、青年はきっぱりと言い切った。しばし、青年と美丈夫は無言で睨み合う。一歩も引かない姿勢を見せるハイデリヒに、やがてエクトルは不敵な笑みを浮かべた。

「妙な誘いとは酷い言われようだが……公爵様直々のご依頼だ、謹んで御受けいたしましょう」
「……え、ちょ、ちょっと待った、い、良いのか!?」

 呆気に取られていたオングが慌てて尋ねれば、それまで剣呑な眼差しだったハイデリヒが笑顔で肯く。

「ええ。この商人はたまに法外な金額を吹っ掛けることで有名ですので」
「そうなのか……? ……機嫌悪い時のホーネルみたいだな」

 オングの独り言で、その場にいた者たちのホーネルに対する印象が悪くなったのは言うまでもない。



 ──この日、リンバール城で起きた「失踪事件」が、のちに“天空の塔”を揺るがす切っ掛けになることを、今はまだ誰も知る由がなかった。

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