春風駘蕩.







 突然だが、自分はそれなりに女が好みそうな顔をしているという自負がある。

 夜空を彷彿とさせる濃紺の髪、そこに輝く星のごとき翠玉の瞳。少しばかり垂れた目尻と軽薄さを窺わせる唇。自慢ではないが行く先々で誘いを掛けられたものだ。決して、自慢ではないが。

 だがしかし、ティール聖王国の城郭都市でとんでもない令嬢に捕まって以降、そういった雰囲気が消失した気がする。それに加えてイナムス全土を巻き込んだ陰謀なんかにも巻き込まれたおかげで、それはもうご無沙汰していた。

 この半年ほどはこれまでの人生で最も忙しい時期だったと言っても良いから、特に不満を抱く余裕すらなかったわけだが──。

「──見て、カイ様だわ」
「お城にいらしてたのね!」
「ちょっと、声掛けて来てよ!」

 アンスル王国の使者として聖王国の城を訪れていたカイは、きゃらきゃらと色めき立つ侍女の声を背に思わず拳を握り締めそうになった。

(高笑いが出そうだ!! そうだよ、俺はエリクと会うまでこういう扱いを受けて来たんだよ!!)

 社交性のある素性不明の色男、という位置づけだったはずなのだ。それがどうだ。何と共鳴者だったらしいオドレイに監禁され、全力で屋敷から脱走し、賊から取り戻した首飾りをその辺の善良そうな奴に押し付けようとしたら飛び蹴りをかまされ……あの数日で運という運が尽きたのかと絶望しかけたほどである。

 ゆえに騒動が一通り収まるまでは、自分の容姿を利用した遊びについては自粛していたのだ。そもそも行動を共にしていたエリクがそういう遊びとは縁遠い存在だったし、ニコなんて十六歳と思えないほどのお子様思考──というか子どもそのもの。

 そう、自分は仕方なく、仕方なく! おちゃらけ男になっていただけ!

 カイは取り乱しかけた心を落ち着かせ、さらりと長い前髪を指先で払う。

(しかし今や俺はリーゼロッテ様の片腕、かつアンスル王国の顔でもある。おいそれと誘いに乗ってたら醜聞が立っちまうからな。あの子たちには申し訳ないが、ここは営業スマイルでさっと躱させてもらおう)

 侍女たちの方を流し目に一瞥すると、「あっ」と微かな笑顔がそこに咲く。カイは蘇った自尊心と共に微笑を浮かべかけたのだが。

「キタナイ」
「ぎょえ!?」

 すぐ背後に立っていた小さな影に気付き、思わず奇声を上げた。両手と片脚まで上げてしまったカイを、金髪の少女──ニコがきょとんと見上げたまま首を傾げる。

 珍妙な姿勢で固まっていると、ニコの後ろから先程の侍女たちが小走りにやって来た。

「失礼いたします、カイ様。こちらのお嬢様が迷子になっていらして」
「カイ様とお知り合いだったようなので、お連れいたしましたの」
「え……ああー……そう……うん、知り合い……」

 カイがしどろもどろに頷けば、それを聞いたニコが突然自身を指差して何かを主張し始める。

「知り合いじゃない、とも!」
「何でジジイみたいな呼び方なんだよ、それ言うなら友達じゃねえの」
「下僕とも言う」
「言わねぇ!! ていうか忘れなさいそんな単語!! どこで覚えた!!」

 健気にも「友達」と称してくれたことに、ちょっと感動した自分が馬鹿だった。前々から思っていたがニコは一体どんな辞書を使って言葉を勉強しているのか。

 これは保護者に要報告だなと溜息をついた直後、カイはハッとして少女の後方を見遣った。いつの間にか侍女たちは背を向けており、何やら楽しそうに話しながら廊下の角を曲がるところだった。

「カイ様って意外とああいう一面もあるのね」
「ねー! 弟って感じなのに!」


 ──弟って感じなのに!



 ▽▽▽



 黙々と料理を食べるニコの隣で、カイは死んだような目で王宮の食堂を見渡した。

 お昼時のせいか一段と騒がしい食堂には、ティールの兵士は勿論、最近は学問所や図書館の学者も多く出入りしている。ニコもどうやらバルドルの付き添いで城まで来たようだが、気付けば父親とはぐれていたらしい。辛うじて見覚えのある廊下をうろうろとしていたところ、運よくカイを見付けたのだろう。

「キタナイ、食べないの?」
「俺の分も食いたきゃ食え」
「やだ」
「嫌なのかよ」

 ふふ、とニコは笑いながら果実水を飲む。相変わらず自由な奴だが、彼女が意外と他人を心配できる性格であることは知っているので、カイも渋々と料理に手を付けた。

「なぁニコ、俺って頼りないか?」
「うん」
「即答やめろ」

 頬を引き攣らせつつ、彼は深い溜息をつく。

 そりゃあニコにとってみれば、頼りがいのある人間と言えばエリクやバルドルのことを指すに違いない。上手く言えないが、自分には彼らが持つ包容力みたいなものが欠如しているように思う。だから「弟みたい」なんて言われてしまうわけで。

「くぁ~……っ、じゃあ俺に言い寄って来た子って、皆そういう目で俺を見てたってわけか!?」
「?」
「いやそんなわけ──でも考えてみりゃ事あるごとに飯を奢ろうとしてきたな、絶対そうだな」

 リーゼロッテと共にいる時間が長かったおかげで、自然と年上の人間に取り入る術が身に付いていたのだろうか。今も各国の王や重鎮と顔を合わせるときにはこの性格が功を奏しているわけだが、何となく複雑な心境である。

「キタナイ、頼り、ある方がいい?」
「そりゃお前、ぶっちゃけ俺は自分のことを頼れるミステリアスな男だと思ってたくらいだぞ」
「ははっ」
「無邪気に笑うな」

 カイはそう突っ込んだものの、以前とは比にならないほど豊かな表情を見せるようになったニコを目の当たりにしたら、毒気も全て抜かれてしまった。その笑顔はエリク限定かと思いきや、未だに名前を正しく言おうとしないカイに対しても、当然のように向けられるものだから油断ならない。

「エリク、良い人だって言ってた」
「は?」
「キタナイが」

 一瞬だけ「汚いけど良い人」と意味をはき違えそうになったが、そうではなかった。どうやらエリクが彼女との会話でカイを褒めるようなことを言ったのだろう。

 ニコは食後の祈りの姿勢を取りながら、記憶を遡るようにして口を開く。

「いつも明るいから、んー……空気? が悪くならない、って」
「……はぁー……もう俺が信じられるのはエリクしかいねぇな……」
「ニコは?」
「お前? 食い物さえ渡せば信じられそうだな」

 ニコは無言で背中をべしべし叩いてきた。以前の衝撃波でも出そうな腕力には到底届かないが、それなりに痛い。

「だって俺の名前を正しく言えないようなガキンチョだぞ! 信頼関係ってのはなぁ、まず相手の名前を呼ぶことから」
「カイ」
「呼べるんかい!! え? お前ちょっとマジで故意に間違えてたの!?」
「カイ、呼べるんかい」
「やめろやめろ変なところで反応するな、俺が滑ったみたいだろうが」

 寒い駄洒落でけらけらと笑っている能天気極まりない少女に、カイはついに降参した。

 少し悔しいが、自分はやはり「ミステリアスな男」にはなり得ない。自覚していなかったわけではないが、ミステリアスと称するにはいろいろと騒がしい。

 しかし──こうやって騒いでいる方が気楽なのは確かで、エリクやニコたちと接しているときの自分が好きなのも事実だ。

 そもそも素の自分を曝け出している時点で、周囲からの印象を変えることはまず無理なのだと、何とも今更な考えに達したところで隣を見遣る。

「お前も堂々としてるもんな」
「?」

 耳が尖っていることで奇異の目を向けられる機会は、ミグスが消えた今でも当然あるだろう。もうティビー・ヘミンの力は残っていないと説明をされても、周囲はなかなか納得がしづらい。それでもニコは彼らの怯えたような瞳を気にしないし、いつも通りエリクやカイに駆け寄ってくる。その堂々たる姿勢は素直に見習うべきだろう。

「決めた。俺はこれから何となく弟感のある男として年上を狙っていこう。その方が建設的だ」
「むぁッ」
「え?」

 がちゃん、とコップが倒れ、少量の果実水がこぼれる。慌ててブラウスの袖でテーブルを拭こうとしたニコを止め、カイは彼女が触らないように万歳をさせておいた。

「汚れるだろ。何か拭くもん持ってくるから待っとけ」
「……」

 両手を挙げたままニコがじっとこちらを見上げてくる。あまりにもまじまじと凝視されたので、カイは厨房へ向かおうとした足を一旦止めた。

「何だよ」
「んーん」
「いや、絶対何か失礼なこと考えたろ。俺には分かる──」
「キタナイ、いつもやさしーよ。ありがとう」

 カイは暫しの間その言葉を反芻し、やがて動揺のあまり自分の食器も床に落とす。今度ばかりは兵士らも音に気が付いたので、多くの視線に晒されながらカイは蹲った。

「くそっ、こんな奴に励まされるなんて不覚……!」
「キタナイ、皿落ちたよ」
「知っとるわ! 天然人たらしめ!」
「私たわしじゃない」


 その後、二人で落とした食器を片付けているところを様々な人間が目撃したわけだが、「アンスルの使者殿は面倒見がいい」という話が定着するのは、それからすぐのことである。

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