番外編 精霊王の器 1.






 扉を開けた瞬間、突如として襲った眩い閃光。混じりけのない、恐怖すら感じるほどの白が感覚を殺す。自由が利くのはこの目と、掠れた声を絞り出す喉のみ。

 樹皮の玉座に腰掛ける者は言った。

 お前は覇道の征服者か、それとも──この大地に安寧をもたらす王か、と。




「セヴェリ様、あなたは大精霊に選ばれたのです」

 ──抜かった。

 五人の魔法使いを見上げ、ダエグ王国の王子セヴェリはぞっと肌が粟立つのを感じた。焼けるように熱い右手の甲には、見慣れぬ蝶の紋様が刻まれている。これは今しがた、光の中に現れた忌々しい「影」の仕業に違いない。咄嗟に爪を立てようとすれば、見咎めた一人が王子の片腕を捻り上げる。

「そう怯えずともよろしい。全く……これが器とは世も末よ」
「放せ、よくもこんなおぞましい亡霊を私に入れてくれたな……!」
「大精霊だと言っておるでしょう、セヴェリ様」

 大精霊。太古の時代、イナムスに降り立った三柱の神のうち、世の理を定めたとされる神の呼び名だ。歴代のダエグ王はかの神と誓約を結び、その比類なき力を誇示してきたという。

 だが無論、大精霊との誓約など──人間がやってよいものではない。北方諸国連合の民の多くは、ミグスと言う得体の知れぬ力を行使する南イナムスの民を蔑むが、セヴェリからしてみればどちらも同じこと。いずれも力を宿した人間は心身に異常を来し、やがて自ら破滅するのがオチだ。

 だから死んでも大精霊などという胡散臭い神とは顔を合わせまいと、今日この日まで使えぬ放蕩息子として振舞っていたと言うのに。

「あなたの飛び抜けた魔法の才は、隠し切れるものではございませぬ。他の兄君らでは話にならん」

 目の前に立った老師はゆっくりと頭を振り、皺だらけの顔でこちらを覗き込む。ぎょろりと動く不気味な眼球は、幼い頃から苦手だった。この男はいつだってセヴェリのうちに眠る魔法の才を見詰め、大精霊との誓約を行えるよう虎視眈々と隙を窺っていたのだろう。

「申し訳ございませんね、セヴェリ様。あなたがどうしても私とお会いになりたがらないので、陛下の名をお借りいたしました」
「……父上が、儀式を許可したと言うのか」
「ええ。既に二百五十年もの間、大精霊の器が見付からぬことを陛下もお嘆きになっておられたでしょう? セヴェリ様が選ばれたのならと、快くお許しくださいました」

 それで、と老師たちが一斉にセヴェリへ視線を注ぐ。


「神の詔は如何に」


 狂気を孕んだ眼差しに、不思議と怯むことはなかった。ようやく呼吸を整えたセヴェリは嘲笑を浮かべ、過去に縋りつく亡者に吐き捨てたのだった。

「──神は私を選んだのだろう。ならば“部外者”に話すわけにはいかんな」



 ◇◇◇



 あの五人の老師がグギン教団と繋がっていると知ったのは、立太子の儀式を終えた直後に、彼らの手引きで教祖が王城へ来たときだ。彼らは教団に対し、南イナムスを治めるティール聖王国を打倒せんとする勢力同士、仲良く手を取り合おうと宣った。セヴェリはそのやり取りを冷めた表情で眺めていたが、特に口を挟むことはしない。しかし。

「願わくば“兵士”の提供に際して、人材の──」
「我が国の民には指一本触れるな。約束を破れば貴様ら全員、命はないと思え」

 人体実験のラットを寄越せと言った邪教徒は、見せしめにその場で殺しておいた。肉体を裂いて飛び出した無数の蝶から、教団の者たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。

 立太子に伴って、上の兄二人からは散々暗殺者を差し向けられた。それらを始末するうちに、命を奪う行為に何の感慨もなくなってしまった。感覚が麻痺しているのか、それともこれは大精霊の誓約がもたらす代償なのか。昔はセヴェリを叱ってばかりいた周りの臣下も、今では恐怖と緊張の籠った態度を取るようになっている。いや、五人の老師だけは未だセヴェリに冷たい視線を送っているが、それはそれで愉快だから良しとしよう。

 何にせよ、大精霊は「安寧」とやらを望んでいる。神の詔を聞いていない、聞くことを許されていない老師はどうにもはき違えているようだが──イナムス全土を巻き込むような戦が起きれば、精霊は大陸から消えることだろう。精霊は巨人族を嫌って北方へ逃れたわけではなく、ただミグスを巡った争いを忌避して南部から離れただけ。

(過去の──千年前の精霊王は覇道へ進み、この者どもと結託して旧ティール王国を滅ぼしたわけだ)

 大精霊と誓約を交わした者は、然したる労力もなく全ての精霊を従えることが出来るのだ。どれだけ優れた賢王であっても、気が大きくなるのは無理もない話である。しかし千年前の祖先は旧ティール王国を打破した後、不治の病を患い数か月と待たず死んだ。その最期は凡そ人の姿をしていなかった、という不穏な話も耳にした。

 このままセヴェリが教団と手を組んでティール聖王国を滅ぼそうものなら、自身もその祖先と同じ末路を辿るのだろう。そんな確信を抱きつつも奴らの入城を許可したのは、ある狙いがあったからだ。

(鬱陶しい老師が五匹、それから教団に肩入れする諸侯貴族ら複数。まとめて処分するにはちょうど良い機会だ)

 ダエグ王国は大昔からグギン教団との繋がりを断ち切れず、未だにずるずると領内に寄生を許している状態だ。王家や老師、それから有力諸侯がいつまで経っても教団の息の根を止めないのは、ティール打倒のための道具としての利用価値を見出している証拠だろう。

 だがそれも、この代で終わりだ。大精霊が「安寧」を望んだ以上、セヴェリはイナムス大陸に精霊を行き渡らせなければならない。ティール聖王国を倒れさせることなく、南北共同で邪教を打ち砕く流れに持っていくことが理想形だが、果たしてどれだけ抗えるか。

 腹立たしいことに、アンスル王国ではあの無能──ハインツが次の王座に就くことがほぼ確定している。あの国は将来リーゼロッテが奮起しない限り、教団に骨の髄まで利用されて簡単に滅亡することだろう。となると手を回しておくべきはソーン王国だが、あれも王が些か頼りない。加えて第一王子が行方不明になったとの凶報が届いたため、暫く国内で混乱が続くのは必至。

 ──思わずため息が漏れた。

「殿下、お戻りになる前に……献上品がございますので、砦へお越しいただけませんか?」

 疲労感に負けて私室へ戻ろうとすれば、グギン教団の者に声を掛けられる。気が乗らないどころか無視したいぐらいだったが、教団と少しは信頼関係を築いておかなければならない。こういうときは、意図せず薄ら笑いばかり浮かべる自分の顔が便利だと感じる。如何にも狐らしくて、大抵の者は必要以上に近付いてこないから。

 しかし、誰かから徹底的に嫌われるという経験がなかったのも事実だった。次の国王である彼には、老師やグギン教団を始めとして様々な人間が擦り寄ってくる。好き嫌いの感情を抜きにしても、おいそれと感情を露わにして人付き合いなどすれば、もはや関係云々どころか国家が崩壊するだろう。

 ゆえに──。


「ナーァ」


 ぺしっと手を叩き落とされたセヴェリは、後ろで喚く従者の声も聞こえずに、ただその少女を見詰めていた。伸び放題の金髪、瑠璃色の瞳、尖った耳。まだ五、六歳だろうか。如何せん人の年齢や外見には疎いため分からないが、とにかく小さい。そして小さいにも関わらず力は強く、弾かれた手は赤く腫れていた。

 その少女はセヴェリが初めて出会う類いの人間であったと同時に、己と同じ「望まずして力を得た人間」だった。

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