終幕. 徒人の道






 少年少女が籠を開き、中から無数の白い鳥が快晴の空へと飛び立つ。打ち鳴らされる鐘楼は人々の歓声を巻き込み、聖都の外へ響き渡った。

 ティール聖王国の王宮前広場は、イナムス全土から集まった各国の重鎮と、祝いの場へ駆けつけた民衆で埋め尽くされていた。この日ばかりは身分も年齢も関係なく、バルコニーから現れた「新たな聖王」を揃って歓迎する。

「アーネスト様だ!」
「聖王陛下万歳!」

 青白磁の髪を一つに束ね、豪華な礼装に身を包んだアーネストは、穏やかな笑顔で彼らの歓声に応えた。彼の額には聖王が代々受け継ぐサークレットが輝き、手には同じ錫杖が握られている。

 そしてその傍らに、少々委縮しながらも何とか直立している黒髪の女性──かつては先見の魔女として王家を支えていたミラージュの姿がある。彼女も今日は礼装を纏い、新しい聖王の誕生を祝うべく足を運んだ。半年前に起きたグギン教団の急襲以降、彼女がアーネストから熱烈に迫られていることは既に聖都でもっぱらの噂となってしまっている。ゆえにちらちらと好奇の視線を向けられ、彼女は段々と後ずさっていった。

 そんな気弱な魔女の隣で、今まで通りアーネストの近衛騎士として続投となったブラッドと、聖王の側近として指名されたフランツが主君の背中を見守っている。未だ反りが合わない二人だと言うのに、不思議と仲が拗れることはなく。どころか奇妙な、それでいて固い信頼関係で結ばれているのではないかと、今では周囲もようやく理解してきたようである。

 バルコニーの下にある貴賓席では、ダエグ王セヴェリ、アンスル女王リーゼロッテ、そして先日正式にソーン王国の王子として復帰した第一王子オスカーが聖王へ拍手を送っている。オスカーが少々ぼんやりと気圧されたような面持ちで、明るく賑やかな景色を眺める横顔を、リーゼロッテはとても穏やかな眼差しで一瞥した。



 ──アーネストの即位式は終始温かな歓声と拍手によって包まれ、恙なく行われた。その日の夜は、春の収穫祭オースターロの日程を少しばかり早め、即位祝いと併せて夜通しの祭りが開催される。広場から人が捌けるとすぐに、慌ただしく出店の準備が始まる。既に昼間から酒盛りを開始している者たちもいたが、それを咎める者はいなかった。

「──あー!! エリクさん! ここにいたんですね!」

 ここ、王立図書館も珍しく賑わいを見せていた。オースターロでは子どもたちにお菓子を配るらしいのだが、如何せん慣れていないのか職員が飾り付けに四苦八苦している。それを手伝っている最中、エリクは一際大きな声に呼ばれて顔を上げた。

「どうしたんですか、ヒルトンさん」

 この年若い青年は先代の司書を務めていたバーグマンの孫で、つい最近その役目を引き継いだ。祖父のような騎士嫌いは遺伝せず、寧ろ憧れを抱いている彼の方針によって、王立図書館にも近頃は学者だけでなく多くの騎士が通うようになった。人柄もよく、周囲からの評判も良いのだが、少々落ち着きがないのが玉に瑕だ。

「エリクさん、お客様ですよ。何であんな御方とお知り合いなんですか!? あ、そもそも陛下とお知り合いな時点で只者じゃないですよね、早く家系図を見せてくださいってお願いしてるのに、もう」
「い、いや、そんなことは……それでお客さんって?」
「はっ、そうでした。エンフィールド公爵夫人のセリア様です!!」

 ざわ、と職員から驚愕の目を向けられ、エリクは苦笑いを浮かべた。セリアとは単純に幼馴染というだけなのだが、まぁ信じてもらえないだろう。エリクはここでは「田舎から上ってきた一学者」という立場で、アーネストに通してもらっている。

 “始祖”の力を受け継いだ存在であることを打ち明けた日、アーネストは想像していたよりも落ち着いていた。何でも、いくつか奇妙に思う点が以前からあったと言うではないか。これにはエリクの方が驚いてしまったが、そのおかげでアーネストとの話は幾分滑らかに進められた。

 エリクが神に連なる者だとしても特別な身分などは微塵も望んでいないこと、それからこの力を公にするのは控えたいということを伝えると、アーネストは暫しの沈黙を経て頷いた。

『分かった。……が、君の身を脅かす存在が消えたとは言い難いからな。信頼できる者には君の素性を伝え、私の目が届く聖都で暮らして欲しい』
『聖都で、ですか』
『ああ。その代わり、王立図書館で働けるように取り計らおう』
『……え!? お、王立図書館!? 何故そんな』
『何故?』

 狼狽えるエリクを見て、アーネストは心底不思議そうな顔をしてから笑う。

『これはちょっとした礼に過ぎない。……このイナムスからミグスを消し去ってくれて、私は感謝しているよ』
『!』
『おかげで精霊も戻り、北との親交も復活した。まあ結果論かもしれんが、この「未来」が在るのは、私の前に君が現れ、ミグスを消したことで得られたものだと考えている』

 ありがとう、と頭まで下げられてしまったエリクは、畏れ多いような安心したような、気の抜けた表情で呆けてしまったものだ。



 半年前のことを思い返しながら、エリクは図書館の正面玄関へと向かう。すると、薄暗いホールの向こうで外を眺めている人影を見つけ、少し迷った後に声を掛けた。

「セリア」
「あ、来たのね」

 ひと月ほど前、無事に公爵夫人となったセリアは、その身分に相応しい振る舞いで軽くお辞儀をして見せた。恐らくこれは以前、「夫人と呼んだ方がいいか」と尋ねたときのことを根に持っているのだと思う。エリクは頬を引き攣らせつつ、申し訳ない気分で口を開いた。

「急にどうしたんだい。今日はお祭りなのに…………え、フランツさんと一緒じゃないのか」
「あの変態はこれから合流するわよ、エリクにちょっと用事があっただけ」

 結婚してもなお変態呼ばわりされているフランツに同情──はしないが、彼を尻に敷きながら上手くやっているとも噂に聞くので、そういうものなのだろうと理解しておく。

 セリアは腕に提げていた籠から、一枚の布を引っ張り出す。よく見るとそれは毛糸で編んだ深緑色のベストだ。オースターロでは未婚の男性がこれを着る習わしが……と、そこで彼女がベストを差し出して告げる。

「はい、これ持ってなさそうだからあげるわ。図書館の人には私が呼び出したことにしてるから、暫く留守にしても文句は言われないと思う」
「え……うん?」
「じゃ、私はこれで。ごきげんよう」

 くすりと笑って立ち去ってしまった幼馴染を、エリクはぽかんとしながら見送る。実を言うとセリアにはいろいろと聞きたいことがあったのだが。

 数か月前、学び舎に先生を送り届けたとカイが手紙で知らせてくれたので、エリクは一度聖都から町へ戻ったのだ。無事に先生とは会えたものの、何故か──彼女は部屋から出てこなかった。結局顔を合わせることも出来ず、エリクは後ろ髪を引かれる思いで聖都へ戻り、今に至る。

『悪い、エリク。いや、その……何だ。ニコはちょっと体調が悪くてな』

 再会できたことで感涙に咽び泣いていたはずの先生が、一転して白々しい言い訳をする姿が頭に浮かんだ。

(……セリアなら何か知ってるかと思ったんだけどな)

 知らずのうちに溜息をつき、エリクは開け放たれた扉の外を見遣る。

 北方との同盟が締結されてから、学者の興味は一斉に魔法へと注がれた。魔法陣の作成、魔導書の読み解き方、精霊との付き合い方……様々な研究が各地で盛んに行われている。そのおかげか、聖都の風景も以前とは徐々に変わって来ていた。魔法によって光る色とりどりの浮遊灯や、火の魔法を空に打ち上げ爆発させる花火など、華やかで幻想的な景観が創られ始めている。

 すると腹に響くような音と共に、今夜一発目の花火が上がった。雲一つない夜空に咲く光の花が、ゆっくりと聖都へ降り注ぐ。火の粉はくるくると回りながら花弁へと変化し、石畳に美しく散っていく。まるで──あの朽ちた遺跡で見た、流星雨のようだった。

 エリクがふと目を眇めたとき、王立図書館の門から誰かが駆け足で飛び込んでくる。オースターロの赤いローブを纏った少女は、こちらを見るなり頬を紅潮させた。


「──エリク!」


 フードを片手で外した少女は、その愛らしい笑顔を露わにして名前を呼ぶ。綺麗に梳かした柔らかな金髪は顎の辺りまで伸び、花の飾りがついたカチューシャが更なる彩りを添える。長い前髪の奥で煌めく瑠璃色の瞳は、まっすぐにこちらを見詰めていた。

「…………え……ニくぁっ」
「エリクっ、ひさしぶり!」
「へ!?」

 思いっきり衝突されるや否や、随分と流暢な発音で喋った彼女にエリクは驚愕する。半ば押し倒されるように座り込んだエリクは、肩にぐりぐりと顔を押し付けてくるニコの背を支えながら混乱を極めていた。

「に、ニコ、言葉が」
「勉強した! バルド……父? おやじ? 教えて、もらった」
「おやじ」

 先生が絶対に望んでいないであろう呼び方が採用されているのは物凄く気になるが、どうやら親子という関係は受け入れているようだ。それにしても──半年でここまで話せるようになるとは、やはり先生の教え方が上手かったのだろうか。ちょっとした謎の対抗心が芽生えかけた直後、ニコは不意に唇を尖らせて語った。

「わたし、待ってて、って言った。エリクが来たら意味ない」
「!」
「もう力、無いから。守るのは、出来ないから……エリクと話できるように、頑張る、したかった。……ん……言葉、変?」

 エリクが思考停止していたせいで、ニコが不安げに尋ねてくる。

 ──つまり何だ。前に学び舎で顔を見せなかったのは、まだ言葉がちゃんと話せなかったからだったのか。

 半年前に彼女がカイと二人で先生を迎えに行ったのも、エリクに内緒で現代語を教えてもらうため。ということはカイも事情を知っていたに違いない。いや、もしかしたらセリアも。

「……っはぁ~……!」

 溜めに溜めて盛大に息を吐き出し、エリクは彼女を抱き締めた。ひしっと抱き締め返してくれるニコの細い腕を感じながら、彼は正直な気持ちを吐露したのだった。

「ごめん、僕は何か、てっきり嫌われるようなことでもしたかなと」
「何で? 私、エリク好きだよ」
「うっ……」

 赤ら顔でにやけそうになったエリクは、咄嗟に口元を手で覆い隠した。ついでに彼女の胸元に蝶の首飾りが光っていることにも気付いてしまい、特に意味もなく唸る。──流石にだらしがなさすぎる。しかし言葉がすんなりと通じることは勿論、自分のために半年かけて勉強してくれたという事実がとてつもなく嬉しかった。

「……良かった、僕も好きだよ」
「ロィ……まちがえた。ほんとに?」
「うん。それに半年だけでこんなに喋れるなんて、さすが先生の娘さん」
「ナーァ、ちがう! そっちじゃない、エリクもって、言った」
「え」

 ニコは何やら必死な様子で首を振ると、拳を握った両手を持ち上げた。そして左手から順に突き出しながら、尋ねるのだ。

「ルークォ、レイヴォ。どっち?」

 その問いにエリクは目を見開き、急激に顔が熱くなるのを感じた。さっきは流れでさらりと口にしてしまったが、いざ掘り返されると消えたくなってきた。彼女は意外と耳も記憶力も優れているようなので、下手な誤魔化しは効かないだろう。エリクはついに観念し、「レイヴォ」に当たる彼女の右手を掴んだ。

「こっちの“好き”かな。僕にとってニコは、大事な人だから」
「わ……」
「ずっと会いたかったよ。……前よりもっと可愛くなってて驚いた」
「……かわ……」

 ぎゅうっと手を握り締めたニコは、暫くして単語の意味を探し当てたのか、少し恥ずかしそうにこくこくと頷いた。彼女にしては随分と珍しい反応に、エリクは一拍置いて小さく噴き出す。それに釣られてニコも笑い始めたところで、エリクは仕切り直すように立ち上がった。

「ニコ、広場に行こうか。去年のオースターロは中止になっちゃったしね」

 手を差し出せば、ニコが喜びを露わに頷く。しっかりと手を繋いで図書館の外へ出た二人は、盛大に打ち上げられた花火を見上げ、人々に紛れて春の訪れを祝ったのだった。

End.

目次

back

inserted by FC2 system