74.






『施設を爆破したら、子どもたちはこの笛で自警団に誘導してもらいます。あなた方は構わずアンスル方面へ逃げるように。指定場所に行けば転送の魔法陣を敷いていますから、そこに飛び込んでください』

 リーゼロッテの説明をニコにも噛み砕きながら説明し、エリクは三階の回廊に魔法具を点々と設置していく。この階はどうやら子どもたちを収容しているらしく、ニコと同じような寂しい小部屋がいくつも見られた。幸い、彼らが狩りの時間で外に出ているため、見張りのダエグ兵も教団の人間もちょうど出払っている。誰かに見付かって騒ぎになることもなく、二人は速やかに魔法具の設置を終えたのだった。

「オント?」
「うん、残りは二階に……」
「!」

 階段を下り始めたエリクを、不意にニコが引き留める。袖を引かれて振り返ってみると、彼女が階下をじっと窺っていた。もしかして下に誰かいるのだろうかと、エリクも慎重に踊り場から顔を覗き込ませる。

 二階には複数の人影があった。いずれも黒いローブを身に纏っており、静々と一階へ下りていく。こちらには気付いていないようなので一先ず安心したが、彼らの後ろを歩く長身の男に自然と目が留まった。仄かに浅黒い肌、長い紺藍の髪に鋭い青灰色の瞳、他を圧倒するような雰囲気を纏った青年だ。

(……耳が尖ってる)

 ちら、と隣にいるニコを見遣る。彼女やあの青年、それから“兵士”の子どもたちの耳が尖っているのは、恐らくはミグスと共鳴する際に生じる身体変化なのだろう。狼の脚が猿のように変形してしまうのと同様、人間は耳にその変化が現れる。ティールに伝わる術式を挟まずに無理やり共鳴したことで、古の巨人族の特徴が彼らに顕現したと言ったところだろうか。

「──え」

 気付けば、青年がこちらを見ていた。

 エリクが思わず小さく声を漏らした瞬間、青年は前を歩くローブの男二人を殴って昏倒させてしまう。するとどういうわけかニコが階段を飛び降り、集団が騒ぐ前に次々と殴り倒していくではないか。一体何がどうなっているのか、見事な手際で教団の者たちを気絶させた二人に、エリクはぽかんとしてしまった。

 全員を沈黙させた後、二人は何やら話をしているようだった。何ともなしにその光景を見ていたエリクだったが、彼女が普通に言葉を交わしているという違和感に気付いてハッとする。

(まさか古代語で会話を……? じゃあ彼は)

 青年の正体がおぼろげに分かった頃、ニコが階段を駆け上ってくる。エリクの右袖を掴んで再び二階へ下りては、青年を指差して告げた。

「オスカー」
「……え? オスカー……?」

 予想していたものとは異なる名前が飛び出し、つい呆けてしまう。彼は──エーベルハルトではないのだろうか。

 古代語を喋るように教育されているのはニコとエーベルハルトの二人、としか聞いていない。それとも聞いていないだけで他にもいたのだろうか。エリクのそんな気持ちを見抜いているのか、オスカーと呼ばれた青年がゆるく頭を振った。

「ウィム・エーベルハルト」
「あ……もしかして……ロィル・ニーモ?」
「!」

 この二人──「カサンドラ」と「エーベルハルト」は旧グギン帝国に存在した皇族の名前を授けられているが、それぞれ本名があって然るべきだ。彼女ならニコ、そしてこの青年はオスカーというのが本名なのかもしれない。そう思って確認すれば、青年──オスカーが軽く目を見開きつつも頷いた。

「……シン・ヤーエ・トゥール?」

 彼はエリクが古代語を解せることに驚いているようだった。「言葉が分かるのか」と短く尋ねられ、エリクは笑みを浮かべて頷く。と言っても全てではないが、オスカーもニコのようにゆっくりとした喋りなので大体は聞き取れるだろう。

 それにしてもここでオスカーと会えたのは幸運かもしれない。話に聞いていた通り気性の穏やかな人物のようだし、エリクに対して警戒している様子もなさそうだ。彼は“兵士”の中でも抜きんでた能力を有しているのだから、その必要がないだけかもしれないが。

「オスカーさん、えっと」
「……マードルン・リーンガイグ」

 現代語で良い、と静かに告げられ、エリクはならばとお言葉に甘えて事情を説明することにした。横でニコはちんぷんかんぷんな顔をしていたが、長年リーゼロッテと話していたオスカーはこちらの言葉をほぼ理解している。王女がこの施設を破壊してティールへ亡命する気だと伝えたとき、にわかに表情が強張ったのがその証拠だ。

「手を貸してくれませんか。あなたが味方になってくれれば、聖王国への侵攻はなくなるはず。リーゼロッテ様はあなたたちを救うために動いて……」
「ナーァ。エリク、リーゼ・アス・オーロ?」
「え……は、はい、リーゼロッテ様もここに……今日それを実行しようと」

 オスカーの顔が見るからに青い。焦燥を滲ませた問いを口にした後、彼は嘆くように片手で額を覆ってしまった。そして。

「ナーァ・イクト。ヴ―ル・カルド」


 ──実行してはならない。殺されてしまう。


 告げられた言葉に張り詰めた沈黙が落ちる。どういうことだと尋ねる前に、オスカーは自ら「自身が教団に逆らえない理由」を口にしたのだ。

 彼は十年ほど前に婚約者としてリーゼロッテと対面したが、実情は少しばかり異なる。幼い王女はグギン皇帝の妃としての役割と、オスカーの行動を規制する“人質”としての役割を担っていた。彼が教団に背くような真似をすれば、代わりにリーゼロッテへ危害が及ぶと脅されたのだと言う。そしてそれが単なる脅しではなく、彼らが本気であることはもう分かっていた。

 ──リーゼロッテは五人目の人質。これまでにも自分より幼い少年少女が、オスカーの目の前で殺されてきた。

 そうしてオスカーの反抗する意思を削ぎ、従順な“皇帝”を創り上げてきた。リーゼロッテは王女ということもあり簡単に殺されないとは知っていたものの、やはり不安は付きまとう。ゆえにオスカーは今日この時まで教団のやり方に口出しをしなかったし、彼らを手に掛けるような真似もしなかった。

 しかし、リーゼロッテが自ら教団に牙を剥いたとなれば、オスカーの行動とは関係なしに始末されてしまうだろう。

「そんな……」
「ぺト・ケルゼン・リーゼ」
「ケル……の、呪い!? 呪いが掛けられてるってことですか……!?」

 オスカーかリーゼロッテが妙な動きをすれば最期、彼女に掛けられた呪いが発動する。それは十年前、まだ魔法に長けていなかった王女に、教団の魔法使いが仕掛けた“死の呪い”だという。無論そのことはリーゼロッテも知らされていないはずで、そうだとすれば今すぐに王女を止めなければならない。

 ──だから「過去」では、リーゼロッテの計画が失敗した。

 恐らくこのままだとリーゼロッテは「過去」と同じように殺される。その“呪い”とやらを止めるにはどうしたら良いのか皆目見当も付かないので、魔法に詳しいカイに話してみるべきだろうか。いや、だが先程あの丸薬を飲んだなら──エリクがまとまらない思考に唸ったとき、突如として施設全体が大きく揺れる。

「うわ……っ!?」
「エリク」

 あわや転倒しかけたところをニコに支えられ、エリクは混乱しつつも礼を述べる。すると続けてもう一発、轟音と揺れが彼らを襲う。オスカーも怪訝な表情で視線を宙に飛ばしていたが、やがてハッとした様子で階段を駆け下りてしまった。

「オスカーさん!?」
「ブリ―スト!」

 彼が鋭く寄越した返答を一拍遅れて理解したエリクは、ニコの手を引いて自らも階段を下りたのだった。

(──今の揺れ、魔法具の一部が爆発したんだ。リーゼロッテ様の合図も無しに……!)

 王女の命が失われるまで、一刻の猶予もなかった。

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