49.






 聖都から半月ほどを経て、リューベク王子一行はノルドホルン領へと辿り着いた。大山脈の調査班として同行を許されたエリクたちに、彼らは至って親切に接してくれていた。先生の豊富な知識のおかげで変に怪しまれることもなく、時には医療班の手伝いまで出来てしまう便利な人材は、別れの時になって惜しまれるほどだった。

「大山脈は寒いぞ、雪も多いだろうから気を付けて行け」
「間違ってもアンスル王国領にはみ出したら駄目だからな!」

 今からそのアンスル王国に入ろうとしているエリクは、曖昧に笑いながら彼らの言葉を受け流す。先生とカイは何の罪悪感もなく大山脈の調査について嘘八百を並べているが、さすがにそこまで吹っ切れないエリクであった。

 リューベクが滞在するノルドホルンの三大要塞は歴史ある場所で、もはや軍事要塞という域を超えた一つの町になっている。聖都ほどの華やかさはないにしろ、濃灰色の煉瓦で造られた家屋には暖かな光がいくつも灯り、こんもりと丸く積もった雪が柔らかな印象を醸し出す。その奥に聳え立つ本丸だけは荘厳な雰囲気を放ってはいるが、何も知らなければ小規模の城郭都市と勘違いしても不思議ではない。

「この辺りはもう雪が降ってるんだ……」
「ついこの間まで暑かったってのにな」

 エリクの驚いたような呟きに、元気になったカイが何処か呆れた様子で応えた。

 三大要塞を含めた大山脈以北は、冬がとても長いという。南イナムスではとっくに春を終え、汗の滲む夏へと突入しているわけだが、北イナムスはそもそも四季どころか二季くらいしか季節の区別がつかない。つまり長い長い冬の寒さが、南で言う夏の真っただ中になってようやく和らぐといった具合に。そういえば、星学を専門に研究する学者が頻繁に北方へ赴くのは、年中空気が澄んでいるために星々を観測しやすいからだとも聞いたことがある。大山脈以北は海抜が高く不用意に踏み込めば死が待っているものの、運が良ければ極光や不思議な空模様も見られるそうだ。

「エリク殿」
「!」

 ぼうっと寒天を仰ぎ見ていると、不意に声を掛けられた。慌てて振り返れば、予想通りそこにリューベクが立っている。慣れた足取りで雪を踏み固めながら、王子はちらりと周囲を一瞥する。萌黄色の瞳を細めるとアーネストによく似るのだな、とエリクが気付いたのはつい最近のことだ。

「派兵の件について皇太子殿下から聞いたか?」
「派兵……?」

 リューベクのどこか抑え気味な声に釣られ、エリクも小さく聞き返す。傍にいたカイに視線を遣っても、「知るわけない」と言わんばかりに首を振られた。

「……どうやら邪教徒がイナムスに潜んでいるようでな。私が聖都に立ち寄ったのはそれの報告と、各地の守備強化を進言するためだ」
「えっ」

 邪教徒とは言わずもがなグギン教団のことだろう。聞けば王子も以前、耳の尖った少年から命を狙われたらしい。それだけでもエリクは驚いたのだが、至って冷静な王子は少年を捕縛した上に尋問にまで掛けたそうで、今度はその見事な手際につい閉口した。そうして王子が得た情報は「グギン教団なるものが少年の裏にいる」という、魔女の予言を確固たる事実へと昇華させるものだったのだ。勿論、リューベクは魔女と面識がない。自らの手で大陸に迫る危機を察知し、聖都に報告へ上がったということだ。

「あの少年は教団のことしか言わなかったが……もしかすると連合も絡んでいるやもしれん。大山脈に向かう際は十分に警戒をするように」
「は、はい。ありがとうございます──あ、リューベク様!」

 今からその教団の拠点に向かうのだが、それを明かすわけにも行かず無難に礼を述べる。その後すぐに踵を返そうとしたリューベクを呼び止め、エリクは躊躇いがちに尋ねてみた。

「その派兵って、もしかしてアーネスト様も……?」
「そう聞いている。ここから南東に下ったリボー領を任されているはずだ。殿下もそろそろ聖都を発つ頃だろう」

 リボー領、とエリクは反芻する。かの地は確か、大昔にグギン教団の聖地と呼ばれていた場所だ。かつて──それこそ千年も前の話だが、そこには不気味な神殿が立っていたという。元は巨人族が造った非常に大きな城で、教徒たちがそこを聖地として崇めていたのだ。史実には「空をも貫く奇怪な城」と記されているのだが、現在その神殿を見つけることは叶わない。決してそれはリボー伯爵領になったときに取り壊されたとか、邪教殲滅の際に破壊されたとかではなく。グギン帝国の崩壊を機に、“跡形もなく消え去った”。そう表現する他にない。

 恐らく聖王は、その聖地跡にグギン教団が潜んでいると睨んだのだろう。例え巨人族の城がなくとも、教団にとっては馴染み深い場所であることに違いはないのだから。そして、そこを次期聖王となるアーネストに任せることで民の不安を取り除き、今後の平穏を約束するという面でも、これは必要な派兵なのかもしれない。

「……大丈夫だろうか」

 リューベクの背を見送りながら、エリクは表情を曇らせる。もしも聖地跡にグギン教団の一派が潜んでいて、更にニコのような“兵士”が隠れていたら、アーネストも無傷でいられる保証はないだろう。近衛であるブラッドが勿論同行するとは思うが──何故だか胸騒ぎがした。

「ま、大丈夫だろ。魔女様が何かしら注意してるかもしれねーし。それより」
「ん?」
「何で王子様は俺らにこんな話したんだ?」

 顔をくしゃりと歪めたカイを見遣り、まばたきを繰り返した。

「どういうことだい?」
「そりゃー……派兵なんか俺らに軽々と言っていい内容じゃないし」

 確かに、とエリクは今更ながら気付く。いくら聖都からの調査班と言えど、王子が軍の動きを平民に伝えてしまうのは如何なものだろうか。例えばエリクたちが教団と繋がっていたり、捕えられて派兵の予定を漏らしたりなんて可能性もゼロではないはず。思慮深いリューベクにしては随分と迂闊な行動に見えた。

「もしかしたらバレてるかもな」

 すると、後ろから先生がやって来た。白い息を吐きながら、少々苦い面持ちで彼は口を開く。

「俺たちが調査班なんかじゃないってこと」
「えっ、マジか!? 俺めちゃくちゃ学者ぶったのに」
「お前はどっちかというと三流のペテン師だったぞ。とにかくアーネスト殿下の部下とでも思われてるか、純粋な厚意か……まあ、分からんが」

 三流のペテン師と称されたカイが憤慨している傍ら、エリクは近衛騎士と話すリューベクを遠目に見詰める。……先ほど、ネイサンを伴わず一人で声を掛けてきたのは、やはり何かしら思うところがあったのだろう。いや、もしかしたら──。

「……僕らを教団の人間と思っている可能性もありますね」
「それもあるな」
「えーッ!?」

 派兵とはすなわち「教団を殲滅する」という意味が含まれているに違いない。アーネストから預かったとはいえ、リューベクからしてみれば何だか素性の分からない三人組だ。エリクたちが教団の人間であるようなら、今さっきの言葉を受けて教団と接触を図るかもしれない。リューベクはそこを叩くつもりなのだろうか、と。

 幸いそんな事実は無いにしろ、エリクは思わずぞっとしてしまう。恐らくリューベクはエリクが「聖都に召喚された少女の付き添い人」ということを知っているだろう。エンフィールド公爵家から送られた書簡には、ご丁寧に「隻腕の青年」とまで記されていたことだし。つまり、暗殺者疑惑を被ったニコと親しい人間であるということを知っているから、万一に備えて鎌を掛けてきたのかもしれないということだ。……よくよく考えればノルドホルンまでの道中、頻繁にエリクたちの様子を見に来ていたし、ネイサンからも不穏な目を向けられていた。あれも、怪しい動きをしていないか監視されていたのだろうか。

「……。こりゃ、ちょいと用心しなきゃ駄目だな」
「ですね……」

 エリクは先生とちらりと目を合わせ、雪深い町へと大股に向かった。

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