41.


 バルドルが実験施設に行くと、ニコはいつも獣を引き摺った状態で現れた。初めはぎょっとしたものだが、どうやら少女はこの時間帯になると施設の外へ出され、一人で獣を狩るように言われているようだった。

 ある日、バルドルは駄目元で少女に頼んでみた。「他にも獣を狩っている子どもがいるなら、会わせてくれないか」と。ちょっとだけ困った顔をしたニコだったが、やがて彼を引き連れて林の奥へと案内してくれた。

 そこで見た光景は、ひどいものだった。

 ニコと同じ尖った耳を持つ少年少女が、青い瞳の獣に怯えて逃げ惑う。赤黒く染まった積雪の上を走る小さな背中に、無慈悲にも突き立てられる牙と爪。バルドルが驚愕して飛び出そうとした瞬間、それはニコによって引き留められた。

『な……何をやってるんだあれは!? あんな小さな子が』

『ナーァ』

 彼女は頭を振るだけだった。手を出してはいけないと。助けてはならないと。そんな非情な判断がバルドルには理解できず、なおも子どもたちを助けようと動こうとしたときだ。

 至る所に魔法陣が展開され、光に捕えられた獣が次々と消えていく。やがて全ての獣が消失すれば、子どもたちがぐったりとその場に倒れ込んだ。すすり泣く声も聞こえ、バルドルは悲痛な表情で奥歯を噛む。

『ナーァ・ロズクォ』

『!』

『ゾィ・カルド』

 

 ──助けてはならない。助けた者も、施しを受けた者も殺される。

 

 ニコの言葉に、バルドルは怒りのあまり握り締めた拳を木に叩きつけた。子どもを獣に襲わせていることは勿論、年齢関係なしに外へ放り出しているところを見ると──きっと、ニコも同じ経験をさせられたに違いない。誰も助けてくれない、助けてはいけない環境で、自分よりも大きくて凶暴な獣に対峙しなければならなかったのだろう。

 そのときの彼らの恐怖を思うと、頭がおかしくなりそうだった。数年前に息子が目の前で襲われた身としては、どうしてもこの狂った施設に憎悪を覚えてしまうのだ。

 怒りに打ち震えるバルドルを、ニコは不思議そうに見つめる。そんな少女の反応にも、彼は苦しくなるばかりだった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

……皆が皆、ニコみたいに獣を容易く下せるわけじゃない。他の子どもたちはただ、死を恐れて逃げることしか出来ていなかった」

 先生は当時のことを思い出すことさえ辛いのか、暫し押し黙る。

 話を聞いただけのエリクも、失った右腕が小さく痛みを訴えていた。学び舎にいる子どもたちと然して変わらぬ年齢の少年少女に、あの凶暴な獣を一人で殺せと強要するなど正気の沙汰ではない。例え彼らがニコと同じような力を得た子どもなのだとしても、あまりに残酷で非道な行いだった。

 じっと話に耳を傾けていたアーネストは、やがてゆっくりと溜息をつく。萌黄色の瞳は陰り、疲労感をそこに宿していた。

「その施設が異常であることはよく分かった。……問題は、教団がどうやってミグスを共鳴させたかだ。密輸の手法はともかく、大神殿でなければ共鳴の儀式は行えないはず」

「そうなんですか?」

 皇太子は浅く頷くと、部屋の外に見える大神殿を見据えた。かの場所は二重の城壁によって厳重に守られている、という話は聞いていたものの、それはエリクの予想よりも遥かに雄大な景色を造り上げている。山を丸ごと改造したと言うだけあって、壁や内側の本殿を覆いつくすほどの緑が溢れていた。まるでそれは──そう、一つの孤島のようにも見える。

 アーネストはその神聖な場所を指し、静かに語った。

「二千年前、“始祖”は我らに青きミグスと、共鳴の儀式に必要な術式を併せて授けたんだ」

「秘宝が安置された広間には、その術式が張り巡らされています。あれは共鳴する人間に、ミグスの力を繋ぎ合わせる役目があるそうですね」

 皇太子の言葉を捕捉しつつ、フランツが簡潔に説明してくれる。その術式とやらのおかげで、広間にちょっとだけ足を踏み入れたジャクリーンがうっかり共鳴できたわけかと、エリクは今更ながら納得した。

……共鳴の方法ならある」

「!」

 そこで先生が口を開く。皆の視線が集まったところで、先生は自身の喉を指差した。

 

──ミグスの欠片を食えばいい。拒否反応が出れば即座に死ぬが、下手すりゃ共鳴者以上の力を発揮できるようになる」

 

 一瞬の静寂を破ったのは、勢い余ってソファから立ち上がったアーネストだった。

「な……っ!! それは“始祖”が言っていた“禁忌”だろう!? ミグスを直接食らえば、人間は力に呑まれて身を亡ぼすと……!」

「ああ、だから二千年もかけて成功させたんだろうよ。実験体として狼を使い、人間が摂取しても狂わずにいられる、ギリギリの量を突いて……あとは、ミグスと相性の良い人間が現れるのを待った」

 本来、ミグスとは巨人族の有する力であり、強靭な肉体がなければ操れる代物ではない。ゆえに“始祖”はその力を人間にも扱えるよう、大精霊と共に加工を施したのだ。しかしながら、それでもミグスの力は非常に大きく、術式を挟まねば人間の肉体は崩壊してしまう。

 “始祖”はイナムスを去る日、人間に厳しく言い含めた。

 

 ──更なる力を求める者、決してミグスを食らうことなかれ。青き力はやがて人を飲み込み、我が一族と同じく、狂気に溺れて死にゆく定めを負うだろう、と。

 

……グギン教団ってのは、二千年前から既に存在したカルト集団でな。イナムスで最強の種族だった巨人族を妄信してた節がある。だから度々、ティール聖王国に“ミグスを解放しろ”と抗議をしていた……だろう? 殿下」

……ああ。あまりに過激なことばかり言うから、過去の聖王が終戦後すぐに粛清を与えたと記憶しているが」

 二千年前の教団の主張は、一貫しているようで破綻していたとアーネストは言う。彼らは「憎むべきは力である」として、罪なき巨人族をイナムス大陸に戻すよう聖王に直訴した。そこまでは分からないこともないが、彼らは続けて言うのだ。

 「イナムスは巨人が支配する大地だ」と。イナムスは断じて、矮小なる人間が我が物顔で闊歩してよい場所ではなく、強き者が真の王として君臨すべきなのだと。

 つまり──ミグスを賜った聖王、それから“黎明の使徒”を断固として認めない姿勢を見せたのだ。終いには聖王を「原初の巨人から力を強奪した罪人」とまで糾弾し、一時は聖都が焼かれる事態にまで至ったそうだ。

 そのような経緯でグギン教団は“邪教”の烙印を押され、聖王によって粛清・解体されることとなった。その千年後、教団が帝国となって旧ティール王国を脅かすことになろうとは、当時誰も予測していなかっただろう。奇しくも今、エリクたちは同じような状況に立たされているわけだが。

 先生は聖王国と教団の背景を軽く浚いつつ、自らの考えを述べ始めた。

「これは俺の憶測だが、教団はその時点で既にミグスを入手していて、ティールに隠れて“禁忌”と呼ばれる実験を繰り返していくうちに……そいつを知った連合が協力を申し出たんじゃないのかと」

「そうして完成したのが、貴殿の見た実験施設というわけか」

 アーネストの言葉を最後に、部屋には沈黙が落ちた。

 グギン教団が蒼穹の騎士団を上回る戦力を備えていること、その養成に北方諸国連合が手を貸していること──そして青い瞳の獣の存在意義。エリクはそれらの情報を整理しつつ、ふと質問を口にした。

「先生、その実験施設は北イナムスのどこに……?」

「ああ、ダエグ王国の辺りに」

──え、それってニコをストーカーしてた王様がいる国じゃん」

「何だって!?」

 ぼそっと独り言を洩らしたカイは、血相を変えて叫んだ先生を見て飛び上がる。悲鳴と共にエリクの後ろへ隠れた彼に、先生はハッとして咳払いをした。

「せ、先生?」

……何でもない。とりあえず俺の知ってることは大体話した。後はそちらで対処してくれ─エリク、ちょっと来い」

「はい……?」

 エリクは皇太子らにお辞儀をしつつ、大股に部屋を出て行ってしまった先生の後を追ったのだった。

 

 

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